モアイ
あなたは知ってますか?モアイを。
もちろん写真や絵で見たことくらいありますよね。
そうです。あのモアイです。彫りが深くてサングラスかけてるみたいになってて顔がでっかい銅像のモアイです。
今日はモアイについてのブログを書きます。
え?なんでモアイかって?
昨日友達の家に泊まりに行った。その友達、最近仕事を増やしたのだけど、理由がどうしてもモアイを見にいきたいから。とのこと。寝る前にえんえんとモアイの不思議について語っていて、モアイについてのブログ書いて書いて!!と言ってくれたので、モアイについてのブログ近々書こう。
モアイブログ?— こおどりちゃん (@abcdabcd4572) 2018年6月1日
ほんとに次から次へとモアイの知識を話してくれて楽しかった。
けど眠り浅かった。夢たくさん見た。笑
友達は、自分と同じくらいのモアイの熱量の人に巡り会える確率はどれくらいなんだろうか。
出勤時にモアイのために働きにきました。って言おうかなって言ってた。#やめな!w— こおどりちゃん (@abcdabcd4572) 2018年6月1日
こんなに熱を帯びた友達のモアイの話を聞いたらなんかモアイについて調べたくなってきたからなのです。
目次
モアイってなに
まずモアイ紹介から。
モアイとは
モアイ(Moai)はチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。島の海に面したアフと呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられている。大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。島で産出される凝灰岩でできており、建造中に放置されたものも含め約900体ある[1]。現在アフに立っている約30体は、すべて近代以降に復元されたものである。
出典元:wikipedia
チリのイースター島にあるってとこまでは授業で習ったので知っていましたが、それだけの知識しかない。。。
ということでわたしはモアイについて調べ始めました。
今イースター島にきちんと建っているモアイ像ですが、1704年にイギリスの船が初めてイースター島に到達した時に、モアイの半分ほどは倒れていたと言われているそうで。
さらに1840年頃にはほとんど全てのモアイが倒れてしまっていたそうで、今立っているモアイは後に人工的に立て直されたそうです。
1995年に15体のモアイが実は日本企業の支援によって修復されていて、
イースター島の知事が日本のテレビ番組で「クレーンがあればモアイが立て直せるのに」と訴えていたのを
株式会社タダノという会社の社員がテレビを見ていて、そこから話が進み、
プロジェクト総費用1億8千万円をタダノが全額負担し、かつモアイの修復費用も負担して修復を行ったようです!
更にもってたクレーンを寄贈!
どんだけかっこいいんだその会社( ;∀;)!!!!!
そしてモアイを立てるのを手伝ったお礼に、イースター島からモアイ像を寄贈してもらい、香川県の鬼ヶ島、女木島に設置されているようです。
というかモアイって
すっっっっごく重たそうだけどなんで倒れてたの?って思いますよね!!
部族の間で行われていた戦争で、モアイ像が倒されたといわれているようで、
元々イースター島、現地の言葉でラパ・ヌイと呼ばれる島に住んでいた人たち、先住民といわれている人たちにとってモアイ像は、シンボル的なものだったので、戦争の標的になったのではないかといわれてます!
もともとイースター島には耳たぶが長い耳長族と呼ばれる人たちが住んでおり、後から島で一緒に暮らし始めたのが耳たぶの短い短耳族だったそうな。
長い間仲良く暮らしていたけれど食糧不足が原因(といわれています)で争いが起こってしまったと言われています。
イースター島の最初の住人は、4~5世紀に移住してきた長耳族。耳たぶに開けた穴から重りをさげ、耳を長く見せていた彼らは、最高権力者である王のもと、村々の首長を務める貴族、神官、戦士、農夫からなる4階層社会を形成した。モアイ像は、彼らが6世紀半ばから17世紀頃にかけて造ったといわれている。モアイ像の耳たぶが長いことが、そう考えられている理由である。
長耳族の移住からおよそ30世代後、1100年頃に島に移り住んできたのが短耳族。彼らは長耳族の風習や信仰に従い、モアイ像の製作にも協力するなど、両部族は200年にわたって平和な暮らしを築いていた。
島の最盛期は、モアイ像の製作が盛んに行われた12世紀から15世紀にかけて。人口もおよそ1万人を数えたというが、16世紀に入ると人口過剰で食糧が不足し、長耳族と短耳族の争いが激化。そして、支配階級だった長耳族を倒して新たな権力者となった短耳族は、長耳族が信仰していたモアイ像を、ことごとく破壊したのである。
全てのモアイが倒れていた時代もあったっていうけれど、
あんなに重たそうなものをどうやって倒したん。。。
すべてのモアイ像が倒れている時代もあった?
1724年頃では半数程度が倒されていたモアイ像ですが、その後西洋人の手によって定期的に様子が伝えられるようになり、1830年ごろに「立っているモアイ像」が伝えられたことを最後に、1840年頃には「すべてのモアイ像が倒されていた」といいます。その後20世紀以降になって、学者や当地の人々によって、断片的に復元がおこなわれるようになり、いくつかのモアイ像が再び立ち上がった姿に戻り、現在に至っています。1990年代には、日本の企業がクレーンを使って復元した、という例もあります。
友達は楽しそうに「モアイには不思議ななぞがたくさんあるんだよ!!!」と教えてくれましたが、
聞いた話も調べてみてもモアイって謎が多いんですね。
モアイの5つの謎
モアイは実はお墓だった
そもそもモアイってなんのために建てられたものなの?って思いますよね。
当初は礼拝のためのものだとされていましたが、モアイの付近から人骨が多数発見されたということから、モアイは実はお墓だったと言われています。
エジプトのピラミッドや日本でいうと古墳もそうですが、昔はお墓に凝りがちですね。
モアイは顔だけじゃなく実は胴体が地面に埋まってた
モアイといえば顔だけがどーんっとあるイメージじゃないですか?
そう。こんなふうに。
「顔でかいからやぁ~!!!」というイメージですよね。
しかしこの画像を見てください。。。
画像出典元:http://www.eisp.org/category/about/history/2000s/
画像出典元:http://newsroom.ucla.edu/stories/easter-island-statues-revealed-234519
めちゃめちゃ怖くないですかっ………
実は胴体あるんですよ。しかもこのなんとも言えない胴体いったいなんなんでしょうね。。。長四角の雪だるまと言っても過言ではないのはないでしょうか?
モアイの胴体ってこんなに長いんやね。
モアイは実はくぼんでいる部分に目がちゃんとあった
モアイといえばこの表情だけど、モアイ像が建てられた時目玉がちゃんとはめられていたそうなんです。
めちゃめちゃ怖くないですかっ………
目玉があったなんて全然知らなかったですよね。
モアイの目玉には魔力が宿るとイースター島の人たちは信じていたそうで、争いの時に目玉を真っ先に破壊してしまったので、今のモアイのように目玉がない形になっているそうです。
モアイの目 モアイはラノララクの岩山で削り出され、運ばれ、アフに立てられて、最後に目がはめこまれたのだと言う。
目がはめこまれてはじめて、モアイはマナという霊力を持ち、信仰の対象として神格化したのだ。
部族間の争いによって倒されたモアイのほとんどが、うつぶせになっているのは、マナを封じるため目を粉々に打ち砕いたから、と考えられている。
以前より、倒れたモアイのまわりからは、粉々になった白色サンゴのかけらが見つかっていたが、それはモアイを磨くためのものだと推測されていた。
ところが1978年アナケナの発掘現場から、考古学者であり、当時島の知事でもあった、セルジオ・ラブ氏の手によって「モアイの目」が発見された。
それは、白色サンゴの眼球と、赤色凝灰石の瞳でできており、大きさは左右35cm、天地15cm、厚さ6cm。これにより、アフにたっていたモアイは、すべて「目」を持っていたと考えられるようになった。
なお現存する世界で唯一のモアイの目は、イースター島博物館に展示されている。(アフ・コテリクのモアイにはめこまれているのは、イミテーションの目)
出典元:http://www.geocities.jp/kozurevacation/easter-ahutahai.html
そして目玉について更にもう一つ謎があるのです。
モアイの目玉に使われていた材質がイースター島にはないものだった?!
目の材質はサンゴ質の石灰岩であることが判明いるのですが、当時のイースター島の付近にはサンゴ礁が無かったことから、イースター島原住民の交易ルートがいかなる物であったか、ということが謎のままとなっているようです。
目の材質がイースター島にはなかったってめちゃくちゃミステリーじゃん!!!
イースター島が滅びてしまった原因が所説ある
森林をたくさん伐採してしまったために、食物を栽培することができなくなり食糧難に陥ったことから、部族の間で戦争が行われ、イースター島に住む人たちはみな亡くなってしまった。というのがよく言われてきたイースター島の歴史であり、その推測理由はガラスの破片がたくさん地面に落ちていたためとされていました。
モアイ像の起源と並び、イースター島で先住民族であるポリネシア人の文明が滅びた経緯が大きな謎として残されています。文明の崩壊がおこった理由として唱えられている説としては、学者であり作家でもあるジャレド・ダイアモンド氏が唱える「エコサイド(ecocide)」説が広く知られています。これは、無計画な開発で行われた森林の伐採などによって環境破壊が起こり、森は枯れ、森林破壊によって養分を含んだ土壌が流れ出したことで、食物を栽培することもできなくなって食糧に困窮したというもの。
出典元:https://gigazine.net/news/20160218-easter-island/
ところが最近の研究で、地面にたくさん落ちていたその破片には殺傷能力がなかったのではないかという説がでてきているのです。つまりイースター島の人々が滅びたのは争いではなく、海を渡ってやってきた疫病が原因だったのではないかと考える人がでてきたのです。
モアイはどうやって設置された?
モアイ像はラノララクという石切り場で作られていたそうです。
イースター島観光のハイライトは、なんといってもラノ・ララクでしょう。この山の山麓はかってモアイの製作工場でした。イースター島は海底火山の噴火と隆起でできた島でラノ・ララクも火山です。加工しやすい火山岩だったため、モアイがここで造られることになりました。ラノ・ララクには製作途中のモアイや、運び出す途中だったと思われるモアイが約400体も残っています。
ちなみにラノララクへ行けば作りかけのままのモアイが今も残っているようでロマンがありますよね。
そしてラノララクという山で作られたモアイ像をどうやって遠くまで運んだのだろうかというのがこれもまた様々な意見があるのです。
当初はたくさんの丸太のようなものを引き詰めて、モアイを転がしていったのではないかという意見がありましたが、最近の実験でモアイが自分で歩いていったのではないかと言われています。
その実験の動画がyoutubeに上がっていますのでぜひご覧ください^^
こんな実験やっちゃうなんてすごいなぁ~!それにしてもモアイが歩いてる!!!
っていうことでモアイについての謎を調べてみました。わからないことがあるっていうのが素敵だったりするから、それもいいよね。と思うこおどりちゃんでした。
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