言い切ってる人に疑問を感じる

最近とても思っていたことをツイッターで漫画で描かれてるものを発見。

なんかすっきりー!

「〇〇ってこういうこと!」とか

「〇〇の人はこなる!」とか「こうしないとおかしい!」

みたいなのを発信できる人には私はなれないなぁということを、最近あるきっかけで考えてた。

世間という後ろ盾を得て、正しいというのはこういうことだよ。

を説得材料に使う人。

それって自分の主観でしかないと思うんですよね。

 

例えば、電車の改札で立ち止まる人やもたもたする人っているじゃないですか。

私もそれは結構イライラする方です。

だけどそういうのをまったく気にしない人っていうのはやっぱり存在するわけで。

全体ではイライラしている人の方が多いから、世間の声=イライラする側の人

となるわけですが

そういう場でイライラされていることに全く気づかない人

というのは自分の前の人が改札でつっかえてても全然イライラしない人なのです。

 

それなのにイライラする人が多いのでそういうのはいけない事だ!という切り口が嫌いだなぁと思ってます。本当にそれが正しいことなのか?イライラに気づかない人の方が寛大じゃない?と思うわけなのです。

 

こういう風にするのが礼儀だ。

という切り口も礼儀=自分にとって絶対ではないかなと思います。

 

 

また利益を生じる場合となると話はかわってくるのかなと思います。

例えば自分が売りたい商品をこんな意見があってこうだからあなたにおすすめだと思います。

だけど一方こういう考え方もあるので一概には言えませんねぇ。なんて言ってたら

そうかじゃあもう少し考えようとなる訳だもんね。

 

あなたにはこの商品以外考えられません!使わないと損しますよ!ぐらい

言い切ってもらうと「そうかそうなのかな」と思いはじめやすいもんですもんね。

言い切られると人って影響されてしまうものですよね。

 

だけどなんでもかんでもそれが自分にとって正しいのかは違った問題だという事が言いたかった。

 

 

 

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