「永い言い訳」amazonプライムビデオで観て泣いた。感想と考察

amazonプライムビデオで映画「永い言い訳」が配信されています。

他のamazonプライムビデオの宣伝にめちゃくちゃ出てくるし、トップのおすすめにも表示されるので、よーし。今日はちょっと暗いものが観たい気分だし観てみようじゃないの。って感じのテンションで観たらものすごいよくて泣きました。

というわけで映画「永い言い訳」の感想をたらっと書くよ

「永い言い訳」のさらっとあらすじとおすすめ

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。その時不倫相手と密会していた幸夫は、世間に対して悲劇の主人公を装うことしかできない。そんなある日、妻の親友の遺族――トラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会った幸夫は、ふとした思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。保育園に通う灯(あかり)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。子供を持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが…。(C)2016「永い言い訳」製作委員会

引用元:amazon

 

予告動画の「ぼくはね、妻が死んだとき、女の人と寝てたんですよ。」っていうセリフがすごい印象的ですよね。

とても泣ける映画でした。愛とはなんなのか。と考えさせられる作品です。

 

映画とか物語のすばらしさは、今の自分の日常では味わえない感情を味わえるというところだとわたしは思うのですが。

こういう映画を見ると、自分はパートナーを大切に思えているのか。もし彼氏、旦那さんが亡くなってしまったら、たとえば、今日朝ケンカや口論をしてしまったことを一生悔やんだりしてしまうのではないか。と考えずにはいられないのです。

 

主人公である幸夫はほんとうに嫌なやつというか、原作者である西川さんもインタビューで「内面性がこうであってはいけないなというところばかり集めた人」と語っています。

 

 幸夫は、内面性がこうであってはいけないな、という性質を集めたような男ですね(笑)。私自身もそういう部分をたくさん持っていますし、他人のそういうところに敏感だったりもします。ただ、みんなそれを隠したり上手くコントロールしながら生きているのですが、自分の中にそれを発見して、狼狽えたり葛藤したりするのもとても人間らしいことだと思うので、今作では、人間が持っていて美しくないような要素を集めた人物を書きたいと考えていました。

引用元:http://bookshorts.jp/nishikawamiwa/

 

たぶんわたしにも幸夫のような部分はたくさんあります。

だからこそこのような作品を見るのがわたしは好きです。

愛とはなんだろう。と考えさせられる作品を何回見ても、自己愛にまみれて、パートナーが見えなくなってしまう時があるのです。だから性懲りもなく映画を観るよ。だから映画をおすすめするよ。

 

ここから下は完全にネタバレなので、今からみるよー!!って人は見ない方がよいですよ!!

「永い言い訳」amazonプライムビデオで観た感想。意味など考察を書きます

主人公の幸夫を演じるもっくんこと本木 雅弘さんの、表情の節々にでるクズさと繊細さの感じがすごくよかったです。

ストーリーのはじまりは、幸夫の妻、夏子役の深津絵里に髪を切ってもらっている幸夫のシーンからなんですけど、もうなんとも言えないやりきれない雰囲気が画面から伝わってきて、これから始まる映画のすごいいい助走になっていると思うんです。

結婚とか夫婦とか恋人って一歩そっちへ踏み出したら誰しもがああいうふうになってしまうんじゃないかなって思わずにわいられない。

お互いの嫌なところばかりに目がいくというか。

 

そんなこんなで、幸夫が、家に不倫相手の女性(演じているのは黒木華)を連れ込んで、よろしくやっている間に夏子は死んでしまう。という内容なのですが、この映画は完全に残された幸夫のストーリーがすべてで、夏子がどう思っていたか、どんな風に感じていたか、どうやって死んでしまったか。などは一切描かれていませんよね。

つまり観る人によって色々な解釈ができるっていうことで、それがこの映画の魅力なのではないかと思いました。

もう愛していない。ひとかけらも。の捉え方

とくに一番のストーリーの核となる部分、死んだ夏子の携帯に下書き保存されていたメール。

 

もう愛していない。

ひとかけらも。

 

急に妻に先立たれ、驚き呆然としながらも、夏子の友人の夫の陽一と子供達によって癒され少し立ち直り始め、漠然と自分は愛されていたと思いこんでいた幸夫は、このメールを見て自分を見失い怒り狂います。

しかし映画を見ていたわたしにはこのメールには前後に続きがあるようにしか思えませんでした。

 

夏子が登場しているシーンは、幸夫の髪を切っているところだけですが、夏子がひとかけらも幸夫のことを愛していない。とはわたしにはどうしても思えないのでした。

 

出て行く前の幸夫とのやりとりから、すべてに嫌気がさして、終わらせられたらどんなに楽だろうと、このメールを作成して、この後の文章を考えていて、しばらくして死んでしまったのかもしれません。

もしかしたら、メールは旅行から帰る直前に送るつもりだったのかもしれないし、一生送るつもりはなかったのかもしれない。

 

わたしは夏子はこんな風に送りたかったんじゃないかなって思いました。

「もう愛していない。ひとかけらも。あなたはわたしのことを」

 

 

また、幸夫に「後片付けよろしくね。」と言って旅行へ出て行った夏子。

このセリフが、最後の夏子の物を整理しているシーンへの伏線になっていてゾワっとしました。;;

 

ちなみにamazonのレビューに逸材な感想が書いてあったので、みんなこれ見て!!

 

身近な人ほど、知ったつもりになる。
知ったつもりになって、いろいろと決めつける。

人は、不在によってはじめて、
その存在の輪郭に触れる。
気づくのが遅いのだ。いつも。
たいてい、その人が与えてくれる
豊さに気づくことができない。

愛はいつも遅れてやってくる。

引用元:amazon

 

愛はいつも遅れてやってくる。名言すぎませんか・・・;;

 

タイトルが「永い言い訳」と長いではなく永いとしていて、夏子がいなくなってしまってから、死ぬまで心の中で言い訳を続けていく、ということも頭によぎったりして更に悲しくなります。

 

人生は他者だ。という言葉

また、陽一がトラック事故を起こしてしまい、息子を送っていった帰りの電車で、やっと涙がでた幸夫が手帳に夢中で書いた「人生は他者だ。」という言葉。

この映画で描きたかったことはこれなんじゃないかなと思いました。

自分のことしか見ていなかった幸夫が人に尽くすことで、始めて人の為に生きる素晴らしさや愛に気づき、感情が高ぶっているシーンはすごく泣けました。

 

監督で脚本を書かれた西川美和さんはインタビューでこんな風に語っています。

 

ー自己中心的で愚かだった幸夫が、物語の最終章で“人生は他者だ”と思い至る場面は印象的でした。

書いている途中で”人生は他者だ”という言葉に行き着いて、私はこれを書こうとしていたんだな、この言葉が物語の軸になっていけばいいんだな、と気づきましたね。さらに、書き終えてから本の帯文を考える会議である人に、「若い人にとっては“人生は自分だ”なんです。そして、年齢を重ねるごとに“人生は自分だ”じゃなくて“他者だ”と気付いていくんですよ。」と言われてすごく腑に落ちました。この物語は、“人生は自分だ”と思っていた人間が、“人生は他者である”ということに気付いていく物語なんだな、と。

引用元:http://bookshorts.jp/nishikawamiwa/

 

自分のためだけに生きている時よりも、人の為に生き始めた幸夫が幸せそうに見えました。

 

観てよかった映画ですー!!

小説が原作ということで、今度読んでみようと思います。

 

 

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